阪神・淡路大震災から21年!つらつら思う事
まいど、酔いどれ( @yoidoreo )です。
もう21年?まだ21年?
震災で亡くなられた方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
人それぞれ感じ方は「もう21年」だったり「まだ21年」だったりするのでしょうね
私は震源地の対岸の舞子に住んでいました、朝起きてネットに繋いでパソ通をしている時にいきなりドスンと縦に落ちる感じがして大きな揺れが、目の前に在ったMacのモニタがこちらにこないようにと必死で抑えました。
周りでは、本棚の本が落ちていくのが見えます、ステレオのラックの棚が落ちるのも見えました。
揺れが収まった時は、足の踏み場もないくらい物が散乱していましたが、タンスや冷蔵庫などは倒れる事がなく、被害としては他に比べるとたいした事はなかったです。
丁度三連休の時で、相方さんは実家に帰っていました、近くに在った公衆電話ボックスから電話をして安全な事を伝え、実家に大丈夫だとの電話を入れてもらうように頼みました
停電で情報が入ってこないまま、車で須磨区の会社に出勤してそこでテレビを見てビックリ、会社の屋上に上がって東方面を見ると真っ赤な炎と、真っ黒い煙が上がっていました。
勤める会社の倉庫が三宮に在ったので、このどさくさに持ち去られないようにと商品を引き上げに当日昼前に山麓バイパス経由で三ノ宮に入ったのですが、新神戸トンネルを抜けてあちこちで火の手は上がって、ビルは傾き、道路は波を打っていました、その光景を見てとんでもない事が起こったと実感しました。
実際に私が住む舞子や会社の在る須磨とでは、被害の大きさが全く違っていました。
それから数日は、非難している同僚のところに安否確認に行ったり、連絡がつかないネット仲間の住む阪急六甲に原チャリで行ったりしました。
もう毎日が必死で一日がアッという間に過ぎて行った記憶が在ります
幸いにも
私の住む舞子の星陵台はライフラインはガスと水がアウトで電気は大丈夫でした。
会社の在る須磨ではライフラインは確保できていました、ですので会社でシャワーを浴びたり水を汲んで帰ったり、傍のレストランでは不通に食事も出来ました。
そういう意味で言うと、大変な中恵まれていたと言えると思います
震災の在った二日目だったと思います、会社の帰りに何時も行っている焼鳥屋(二階が住居)さんに明かりがついていたので、お元気かな?と顔を出したところ常連さんも明かりを見て寄ったそうで、元気でよかったと・・・。
私は、相方さんが実家に帰って一人でしたので会社の帰りに大きなやかんに水を入れて運んでは、このお店でお酒と食事を頂きました
一人でしたので、不自由も在りましたが身軽で自分の事だけをすればよかったので、家族の事を気にかけながらの方に比べるとずいぶんと身軽に動けて生活が出来たと思います
近くのパン屋さんでは、朝早くからパンを焼いて販売されていて朝はここでパンを買って会社に行きました。
会社でも被害が少ないものが出社して、皆で商品を出荷しました
自宅の近所でも共同で水を取りに行ったりと、これまで以上の絆が芽生えていきました
倒壊した阪神高速神戸線が復旧して大阪の友人のところに行く時は、走っていてはからずも涙があふれ出てくるのを抑える事が出来なかった事を今でも鮮明に記憶しています
この時の教訓と、人と人との絆が何時までも風化せずに続く事を願っています
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